非リアVSリア充

恋愛観とかをテキトーに書いていきます。どうぞよろしくね!!

仕事以外に大事なことを考えてみる

日本では学業を終えて就職すると、週5日間働くことになり、海外と違い長期の休みなんかもありません。なので、ほとんど自分のやりたいことを長期間じっくりするという時間はありません。普通にしていると、そういう時間を得られるのは老後からになります。

 

ほとんどの人は、若くて体も頭も動く年代を仕事に費やすことになります。日本が海外より過剰に仕事至上主義だったり、仕事の中に生きがいを見出そうとしたり、無職の風当りがすごく強かったりするのは、仕事漬けの人生を正当化するための風潮と言えます。起きている時間のほとんどが仕事の生活を強いられているのですから、「仕事が第一」という意識でいたほうが、気持ちに矛盾がなく楽でいられるわけです。

 

そういうわけで、とくに仕事至上主義が色濃いこの国にいては、とにかく仕事以外に大事なことが存在することを感じもしなのが常です。もし、仕事しなくてもいいくらいのお金を持っていたら、どのような生活をしているのかを、一度考えてみるのも意義があります。そこには人間の本当の欲が隠されているからです。

 

試しに僕が職場の人に「もし仕事しないでいいなら、どうしているか」を聞いてみると、ほとんどの人が「遊んで暮らす」と答えます。これから分かるのは、人間は生きていて楽しい状態でいることを志向していることです。少なくても、「仕事」や「社会貢献」が元来の欲望でないことは明白です。

 

ようは、毎日楽しく生きれた人が本当の勝者でないかと思います。

シンプルに楽しいことをすればいい

「幸せは歩いてこない。だから歩いて行くんだよ…」という歌があります。幸せはあくまで、“わざと”なろうとしない限り実現できるものではありません。誰もが幸せになりたいと思っているのに、むしろ、不満を抱えている人の方が多いものです。その理由は、素直に幸福を求めることをしていないからです。

 

例えば「こうなりたい」と理想を掲げている人は、一方で現状の不満を言っていることが多いものです。また、「若いうちは苦労すべき」という人もいますが、苦しむことと幸福になることは、なんら関係はありません。「苦しみの先に幸福がある」という意見もありますが、その実例の多くは、苦しかった過去と比較して、楽になっている現状を相対的に幸福と感じているにすぎません。

 

余計なことを考えず、素直に今楽しくなることをしていればいいのです。それが生活すべてを幸福にする最短ルートになります。物事の不足に注意を向ける、我慢して苦労をする、といったような幸福と関係ないことをしていてはダメです。自分から歩いて行かなければ幸せはやってきません。

 

「世のため」とか「社会貢献」とかをあれこれ考える必要もありません。ただ楽しんで何かをしていると、それが周囲の人までも楽しさを伝染させるようなことは多くあります。そういう人のほうが、かえって世のためになっていることが多いものです。

 

子供のように、バカになったつもりで楽しいことに打ち込んでいればいいのです。それはあくまで感情の世界です。何かをして楽しいと感じていたならば、それはもう立派なことです。他人から評価されなくても関係はありません。

 

某漫画家の「幸福の7ヵ条」の前半もそのような内容ですが、僕も同じような考え方です。

アイドル傷害事件について

知り合いから、某アイドル傷害事件について質問を受けたので、自分なりにちょっと考察してみたいと思います。

 

今回のようなストーカー事件ではよく「恋愛感情」や「ゆがんだ愛情」を考え勝ちですが、僕はあまり恋愛感情とかは関係ないと思います。今回の事件のように「思うようにいかなかったから、刺す」という行為は、単純に犯人の精神が未熟だったからにすぎません。

 

「怒ったから、やっつけた」

という、ただそれだけのことです。この子供のような精神のまま育ったから、大人になってそれが行動に出てしまったにすぎません。確かに贈り物を返されるのは腹が立ちますが、腹が立っただけで殺人同然のことをする人は普通いるものではありません。傷害に至る前の犯人の行動の数々も、人の気持ちを考えないという未熟さから来ています。もちろん他人の気持ちを知ることは難しいことですが、「嫌だったか」とかは反応を見ればすぐに分かるものです。

 

人との関係はあくまで交換作用です。どちらかが一方的に相手に行動しているだけの状態では、それは不健全な関係です。そういう関係は早く諦めて次に行ったほうがいいという判断ができます。これは恋愛感情が入っていようがいなかろうが同じです。

 

もちろん今回のような犯人に「人の気持ちを考えろ」などという、道徳的な精神論を聴かせるのはナンセンスです。精神は学習ですぐに育つものではないからです。精神が未熟な人は、家族関係が悪かったり、子供の頃の人間関係で問題が起こっていたりすることが非常に多いものです。(もちろんそれらの問題があっても立派に育つ人はたくさんいます。)

 

不幸な家庭や人がいる限りは、犯罪が起こるのはむしろ自然なことです。法の力に限度があるのは明らかです。世の中の犯罪がゼロになるのは、全員が幸福になるところまでいって初めて実現するものだと思います。

結婚にお金はかからない。

経済の低迷で結婚する人が減少していると言われています。晩婚化の主な原因は、男性の収入が低くなったからとされますし、「結婚できない貧困女子」という内容もメディアで見られるようになりました。結婚するとたくさんお金がかかるというイメージは、いまだに根強いものです。

 

挙式の平均費用を見てみると430万円を超えます。そのほかに、新婚旅行は平均60万円、結婚指輪は月給の3倍など、結婚すると多額のお金がかかったというデータがあることは事実です。それゆえに、世間では「結婚するまでには最低○○くらいの貯金がなければならない」という言論が踊りますし、それに直面した若者(主に男性)は、大型貯金を考えたり、結婚自体を見送ったりあきらめてしまうことが多くあります。

 

はっきり言いますが、結婚すると必ずそれだけのお金がかかるわけではありません。結婚はあくまで「一生を共にする」という“誓い”であり、それそのものにお金がかかるはずはありません。多額のお金がかかるのは、それをお祝いするときに行われる催しや儀式です。

 

この「お祝い」の様式は、その国や地域によって様々です。今私たちのいる経済大国日本の場合では、一生に一度と言わんばかりの盛大な挙式が行われたり、海外に新婚旅行へ行ったりするなど、多額の費用がかかるものが主流になっています。結婚にこれらの盛大な催しで祝うのは、経済が好調なひと昔前ではふさわしいことだったでしょう。ですが経済成長が停滞した現代は状況が変わりました。最近では、結婚式を挙げないカップルがついに半数を超えたみたいです。

 

結婚は文明が未発達な少数民族の中でさえ行われています。先進国に住む私たちでも、お金がないと絶対にできないものではありません。「たくさんのお金がかかる」という全体意識のせいで、結婚そのものに躊躇する若者が多いとすれば、それはもったいないことです。

 

結婚に多額のお金を投じていたのは、過去の経済成長期で行われていた、一つのスタイルに過ぎません。そのスタイルを真似するのか否かは、あくまでその当人の自由というものです。ちなみに僕が彼女にあげた指輪の価格は、月給の0.08倍ほどです。

運を左右する“日頃の行い”の正体

人には運のいい人と悪い人がいます。僕の職場には、そのよい例の2名がいます。運のついてない彼は、職場での評価はとても良いのに、しょうもないことで苦労やアクシデントに見舞われることが多くありました。その一方で運の良い方の彼は、「周辺住民に助けられた」などのエピソードを多く聞かせてくれます。しかし彼は前者とは真逆で、イマイチやる気のない感じの働きぶりでした。

 

上記の2名を見ると、「正直者はバカを見る」と言うことわざが当てはまるのを感じます。運の悪かった人に対して「日頃の行いが悪いからだ」とはよく言われます。ですが実際は、日ごろの行いが良く真面目な人が不運だったりします。逆に、テキトーだったりエンジョイしてる人が幸運をつかんだりしているケースがかなり多いものです。では、運の良い人と悪い人のその原因とは、いったいどこにあるのでしょうか。

 

この冒頭の2名を見る限り、運の良さを左右している決定的な違いは、普段考えていることです。この2名はそれぞれ、前者がマイナス思考であることと、後者がプラス思考であることが、会話をしてみると明らかに分かりました。行動では“正直者”に見える真面目な彼は、実際あまり自信がなく、常に何かにおびえていることが見て伝わります。後者はその逆で、かなりのお気楽屋です。日頃の行いは行動の面より、精神面での状態のほうがはるかに運に影響すると言えます。

 

食事や睡眠を犠牲にしてがむしゃらに頑張っているのに、あまり努力が報われない人を見たことはないでしょうか。そういう人は必ずと言って良いほど、将来の恐れに駆り立てられていたり、どこかでマイナスの思考が根底で働いています。「正直者」と呼ばれる人は、あくまで社会が決めたルールに忠実な人のことです。その人の内面が普段どのような状態なのかは、外面や行動からは分かりません。自分が何かを頑張ろうとするときは、まず普段の思考の状態に気を付けたいものです。

車を持たない人生

20代でマイカーを持ち、死ぬまで持ち続けたとしたら、生涯でかかる金額はマンションを購入した場合のそれに匹敵するみたいです。もちろん、普通に正社員で働き続ければ、生涯のうちでそれくらいの金額はまかなえるでしょう。でも、“マンション購入と同じくらい”が本当だとすれば、これは考え物です。

 

今の若者は車を持たないと言われています。その原因は、単純に「景気が悪くなったから」というのは考えにくいです。なぜなら、新卒の初任給や年収は、全体では上がり続けているからです。おおざっぱに言えば、「昔の若者は、借金までして車を持った時代」だったのに、「今は価値観が移行して持たなくなった」と言うことができます。

 

ひと昔前と比べ、車の「女を引き付ける」役割はなくなりつつあるし、年齢とともに出世して収入も右肩上がり、という傾向も大分減ったと言われます。そう考えると、車を持たない人が増えるのは、むしろ自然なことです。この調子だと、「マイカーを持つのは一部の富裕層と、車が趣味の人だけ」という、経済成長期以前の状態が、いずれ訪れるんじゃなかろうかと思います。

 

かくいう僕も男性ですから、数年前の頃は「いつかは新車を購入…」とぼんやり想像していて、一応好きな車種なんかもあります。でも今は、そう思っていません。やはり「男の憧れ」というのは、冷静に見直すと不必要なものが実に多いものです。車は今のところ全く必要としないし、いつか田舎暮らしを始めたとしても、自転車と公共の乗り物で粘ろうと思ってます。どうしても必要なときは、レンタカーを使えばいいです。

 

20代でマイカーを持たない決断をし、死ぬまでそれを維持したら、生涯でそれなりの儲けを出したと同値になるでしょう。「持たない」という選択が幸せになることだって十分にあります。(もちろん、コストをかけてでも車を持ったほうが幸せになるという人も、たくさんいると思います。)

「童貞を卒業した」は偉いことなのか

「友達が『初めてヤった』ことを自慢してきて悔しい。僕も早く童貞を卒業したい」…以前、知人にこのような相談をされたことがありました。学校でも男子の集まりで、ときおりそのような話題になることはあります。どうやら、ある程度の年齢になっても童貞を卒業していない男子は、人として劣っているという感覚が、なにか世間にはあるようです。

 

確かに異性と付き合った経験があるかは、その人が人間として一定の価値があるか、という点を見分けるポイントになりえます。あらゆる人の結びつきの中でも恋愛関係ほど、誰かに深く必要とされる関係はないでしょう。ですので、そのような関係を持っていること自体がステータスにもなります。ですが、童貞を卒業したかしてないかは、それほど重要ではありません。なぜなら、性交渉は恋愛関係の一つの通過点に過ぎないからです。

 

問題なのは、価値観の中心が性交渉に置かれていることです。重要なのは卒業したかではなく、卒業の相手となった(なる予定の)人とはあらゆる意味でいい関係であり、これからも長く付き合っていきたいか、という話ではなかろか。性交渉そのものに価値があるような考えが氾濫しているので、遊びでヤったことを自慢したり、「とりあえず風俗でもいいから卒業しとけ」と言う輩が出てくるわけです。特定の異性と愛し合っていることに価値があるのであって、性交渉はあくまでその結果の一つに過ぎません。

 

童貞を卒業しても、とくに偉いということはありません。卒業すること自体に焦って、セックスが目的の恋愛に走ったり、風俗へ駆け込む人がいるのは、滑稽なことです。卒業してないからと言って、焦ったり劣等感に苛まれる必要は全くありません。その価値観は、男同士の比較によって生まれた幻覚に過ぎないからです。

飲み会に無理して付き合う必要は全くない

僕と同じ年のような若手から職場の話を聞いていると、「飲み会が多いけど付き合ってる」という話を聞くことがよくあります。「飲み会離れ」と言われているものの、いまだに飲み会が行われる職場は実に多いものです。そのような話が出ると、僕は決まって「じゃあ、行かなきゃいいじゃん?」と聞きますが、彼らは「職場の付き合いだから大切」とか「会社からの評価が下がるから」とかの理由で行かなければならないことを訴えます。

 

僕は飲み会が嫌いで、おごってくれるときを除いて基本的に参加しません。飲み会拒否の攻略は簡単で、最初の3回を断れば誘われなくなります。でも、それで人間関係が悪くなったということは一度もありません。案外うまく断れば大丈夫なものです。

 

もちろん飲みの場には親睦が深まるという効果は少しはあるようで、参加していた人と多少の差を感じることはあります。それでも、その差は本当に微々たるもので、せいぜい飲み会であった話を共有できるかできないかくらいです。職場での上司からの扱いが変わるということはないですし、評価が下がったり給料が減るようなことはありません。もし飲み会の不参加で風当りが強くなるようなことがあったら、その職場がよほど病んでいるということになります。

 

行きたくない飲み会を断ることは、節約できるというメリットもあります。1回の費用もそこそこ高いので、もし1ヶ月の会すべてを断ったならば、飲み会の頻度によってはもう副業といっていいくらいの粗利を稼いだと同値でしょう。

 

そもそも、飲みが好きという人に付き合わなければならない理由は、どこにもありません。付き合うことは、ほとんどお金を払って人の趣味に付き合うのと一緒です。行きたくない飲み会には無理に行かない、ということが認められる社会になっていったら素敵だと思ってます。飲み会とは、好きな人と気軽に行って楽しむのが本来の姿であるはずです。

“猛アタック”で人気の女性と結婚した先輩

僕の職場には、最近職場結婚したパイセンがいます。聞くところによると、彼はお相手の女性に当初「猛アタック」して交際に至ったらしいです。さらに、その女性は職場でも人気が高いみたいです。僕の知る同僚の若手も「狙っていた」らしく、「持っていかれた」と悔しがっていました。僕は職場の女性とは挨拶以外一度も話してないので、同じ職場にいながら、そのパイセンの相手である女性が誰なのかは把握していませんが…

 

ところで一見、一方的にも見えるこの“猛アタック”という手法は、僕はとても理にかなったものだと思っています。なぜなら女性は生来受け身の性で、注目されたり、熱烈に愛されることを好むからです。そのパイセンが、職場で人気の女性をゲットできたのも、その女性に最も注意を注いで行動したからにほかなりません。

 

もちろんアタックというのは、受ける側が良し悪しを評価するものですから、正しく行うのが前提となります。それともう一つ重要なことがあります。女性の男性に対する恋愛対象のアリ/ナシの判断は、かなり早い段階で行われ、一度「ナシ」に仕分けされると、二度と「アリ」にはならないみたいです。つまり、「最初は嫌われてたけど、接近を繰り返したらだんだん心が向いてくる…」というような展開はまずありえないと言えます。もっとも女性は、ナシに仕分けた人に直接「嫌い」と言うようなことはしません。せいぜい笑ったりしてその場を流すのが常でしょう。これらを勘違いし続けた男は、容赦なくストーカー認定を受けることも起こり得るわけです。

 

以上の理屈から考えると、アタックをする→だめだなと思ったらさっさと引く→別の女性にアタックする…という方法が、最も彼女ができやすい方法になります。実際に、女子に積極的に話す男性は、別れてもすぐ次の彼女ができる傾向があります。これは分解して考えれば、上記のようなプロセスで多数の女子に当たっているからとも言えるでしょう。

 

もちろん、ゲットしたあとも相手にアタックし続けるのが得策です。女性はとくに求められることが好きなので、結婚後もアタックがあればより刺激的な日々になるでしょう。逆になければ、新婚生活はたちまちつまらないものになりかねません。先輩頑張ってください。

中年フリーターの実態を見て思ったこと

メディアでときおり、中年フリーターという人たちが取り上げられるようになりました。メディアの記事によると、中年フリーターはほぼ必ず貧困やその悲鳴などとセットで語られます。僕は実際にその中年フリーターに会う機会が何度もありました。僕が今まで経験したアルバイトで、とくに平均年齢が高いのは肉体労働系の日雇いです。他のアルバイトはみな学生同士だったのですが、そのバイトだけはいい年した中年の男性がよく参加しています。

 

彼らといろいろ話しをした中で感じたのは、意外に生きているのが楽しそうだということです。中には見るからに「社会でやっていくにはちょっと…」という人も一部いましたが、ほとんどの方たちは良識をわきまえた大人でした。とくにお金に困ってるような話もなかったし、むしろ趣味を楽しんで暮らしてる人が多かった。少なくとも、メディアの記事のそれとは大分違うなという印象を受けました。みなと協力的に仕事をしている彼らの姿を思い出すと、今の職場にいる年収1000万超のほぼ毎日出勤している管理職の方より、健康で幸せそうとすら思います。

 

彼らから学んだ最も重要なことは、日本で生きている限りお金に困窮することはまずないということです。アルバイト市場に限って言えば、明らかに志望者より求人のほうが圧倒的に多いですし、もし働けなくなったとしても、一応生活保護などがあります。さらに、自己破産なんていうほとんど不利なく返済の義務を免れるシステムもあります。僕が就活生だったとき、周りに「就活失敗したらホームレスになる」と心配している人がいましたが、それはもう諦めの末わざとなろうとするか、無知と無策を極めに極めた人だけがなる特殊な例だとも言えるでしょう。

 

日本は世界的に見ればたくさんのモノとカネを保有している国です。日本に住んでいながら、先の経済的な心配をするのはとてもナンセンスなことなんだ、と感じています。安定した企業に勤められなくても、キャリアを作ることができなくても、楽しく生きれる術は転がっています。景気の低迷がどうこうとかいう話に踊らされず、楽しい人生を送れる人が増えることを願いながら気軽に生きたいものです。